朝焼けウォークのお役立ちメモ

主に60代の人達でお互いに有益な情報を提供試合提供し合える事を目指します。

孤独と絆との付き合い方

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[目次]

1 独居老人の孤独死の立ち合いに関する経験

2 絆と絆としがらみへの距離の取り方

3 まとめ

こんにちわ

定年退職者を含む60代の3大心配事が「お金」「健康」「孤独」との事です。

1 独居老人の孤独死の立ち合いに関する経験

そのうちの「孤独」について、私は5年程前から約4年程賃貸マンションの管理員の仕事をしており、いわゆる独居老人の孤独死に数回立ち合った経験があります。

その殆どは、近隣からの申し出や管理員が立ち寄った際に感じた異臭等から警察官を同行しての室内への立ち入りした結果分かったケースでした。

ごく一部を除いて身内に連絡が取れず、連絡がとれてとしても関わりを拒否されて仏さんの後の処理は市役所等が行い、家主のオーナーには気の毒ですが部屋の現状回復には家主の自腹でおこなわざるおえなくなり、おまけに事故部屋としてその後の客付けには苦労するという事になり、オーナーさんが頭を抱えるという流れになっていました。

孤独死した独居老人はある意味自業自得でそうなったわけですが、身内にも相手にされずやっかいもの扱いされて死んでいくこことについては哀れさも感じていました。

 

2,絆としがらみへの距離の取り方

話は変わりますが、「絆」という言葉が東北大震災後に流行語になり、今も時々目にし

ますね。

この「絆」について違う意味では「しがらみ」という意味にも取れます、

高度成長期には地方から都心に出ていく事で、その因習等のしがらみから解き放たれてそのわずらわしさから自由になると感じた人が多いと聞いています。

つまり「絆」にはプラスとマイナスの面があり、うまく付き合うためには、どちらも考

えて上で自分に合うように適格化する必要があると感じています。          

私も多少そうですが、特に若い世代の人達にとって「自分の価値観や気持ちが合う部分

と合う時間だけさらっとつながりたいけど、それ以外の時間は嫌だしそれ以上の全面的

な濃密な関係はもっと嫌!」という事が本音ではないかと思います。

理想的には「個」を守りつつ「集団に和する」という状態でしょうか。

また「絆」を全面的に礼賛する事については、危なっかしさも感じて好きではありません。

世の中には様々な考え方があって当たり前ですしそれを認めずなんでもかんでも「和す

る」事がすべてで「差異」を認めない世界等恐ろしい事だとは思いませんか。?

3 まとめ

色々と書きましたが、

個と集団は相反するものだが、両方とも生きていく上で必要不可欠なものであり、人によっては程度の差はあるにせよ適度な距離をとっていく事が快適な生活術なのかなと思っています。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

明日以降もより良い日がをすごせますように。

それでは失礼します。